シリーズ:氷がつくる海洋大循環 (2)

世界で一番重い水、南極底層水

世界の最も大きな海洋循環は、南極海と北大西洋の2ヶ所で重い水が沈み込み全海洋の深層に拡がりながら徐々に湧き上がることで作られる循環(海洋深層循環)です(前回参考)。この2つの重い水、南極底層水と北大西洋深層水のうち、より冷たくて重いのは南極底層水で、全世界の底層に拡がっています。南極底層水起源の水は、全海洋の36%をも占め、北大西洋深層水起源の水の2倍あることも最近の研究でわかってきました。太平洋では2000m以深の水は2℃以下となっていて、そのかなりの部分は南極底層水起源の水で占められています。重い水の沈み込みが弱くなったり、沈み込む場所が変わったりすると、海洋深層循環が変わってしまいます。そうすると、海の持っている熱容量は非常に大きいので、地球上の気候が激変することになります。実際に古い過去には深層循環が今のものとは異なっている時期があり、そのために地球の気候が大きく異なっていたことが示唆されています。今回は、世界で一番重い水南極底層水(Antarctic Bottom Water)について、少し詳しく解説します。

図2-1:「海氷の生産工場」沿岸ポリニヤでの海氷生成と南極底層水生成の模式図。Morales Maqueda et al.(2004) を参考に描画。

北大西洋深層水の場合、冷やされるだけで深層まで沈み込む重い水が作られるのに対し、南極底層水は海氷(流氷)生成を伴って重い水が作られます。ただし、南極海のどこででも底層水ができているわけではありません。ここで重要になってくるのが、沿岸ポリニヤ(coastal polynya)と呼ばれる場所での大量の海氷生産です(図2-1参照)。沿岸ポリニヤとは、風や海流によって生成された海氷が次々と沖へ運ばれ薄氷域が維持される場所です。通常海氷は、ある程度厚くなると自らの断熱効果の働きによって、それ以上は成長しません。しかし、沿岸ポリニヤでは、十分成長しないうちに海氷が運びさられるため薄氷域が維持され、大量の熱が大気によって奪われます。奪われた熱に比例して海氷が生産されるので、ポリニヤでは大量に海氷が生産されることになるのです。沿岸ポリニヤはいわば「海氷の生産工場」と言えます。海氷が生成されるとき、海水の塩分の大半は氷からはき出されるので、塩分の高い重い水が作られます(前回参考)。南極大陸周辺の沿岸ポリニヤでは、大陸からの寒気により大量の海氷が作られ、大陸棚上では重い水(高密度水)が生成されます。特に重い水が作られる陸棚域では、高密度水が陸棚斜面を下りながら底層へと潜り込んで南極底層水が作られることになります(図2-1参照)。

図2-2:南極底層水の生成域と流出経路。Orsi et al.(1999)を参考に北大低温研・青木茂氏が作成したものに加筆。

今までの研究に基づいて南極底層水の生成域とその流出経路を模式的に示したのが図2-2です。南極底層水の生成域は、ロス海・ウェッデル海・アデリーランド沖が3大生成海域として知られています。しかし、それぞれの海域でどれくらい底層水が生成されているかについては、未だ大雑把な見積もりしかなく必ずしもよくわかっているとは言えません。北大西洋深層水については、その生成域が米国・ヨーロッパに近く、観測・研究も多く、その実態はかなりわかってきていますが、アクセスが困難で観測が難しい南極底層水に関しては、まだわかっていないことも多いのです。底層の海水の性質を分析することで南極底層水の生成域が推定されるのですが、その分析から上記の3つの生成域の他に東南極(図2-2参照)にも(第4の)生成域があることが示唆されています。しかし、それが東南極のどこであるかはよくわかっていませんでした(アメリー棚氷域がその候補として挙げられていました)。そのような中で、実は我々北大の研究グループが、南極昭和基地の東方1200kmにあるケープダンレー沖が東南極にあるはずの未知(第4)の南極底層水生成域であることを明らかにしつつあります(現在も観測プロジェクト実施中)。この詳しい話は別の回にする予定ですが、全海洋を最も多く占める南極底層水、まだまだわかっていないことが多いチャレンジングな研究対象なのです。

2011年3月


「氷がつくる海洋大循環」、目次と今後の予定:

  1. 塩のさじ加減で決まる海洋大循環
  2. 世界で一番重い水、南極底層水 (本号)
  3. 日本南極観測隊の話
  4. 世界に冷たさを運ぶ南極底層水を計る
  5. 宇宙から南極底層水生成域を探る
  6. 未知の南極底層水生成域を探る
  7. 南極の氷は石けん、北極の氷はシャボン玉 −温暖化に脆弱な北極海−
  8. オホーツク海は北太平洋の心臓 −温暖化で弱まる心臓の働き−
  9. 温暖化でどうなる 氷河・氷床の行方 −氷床海洋相互作用の謎−
  10. 沈んだ水はどう湧き上る −混合の役割−