シリーズ:氷がつくる海洋大循環 (1)

塩のさじ加減で決まる海洋大循環

図1:海洋のコンベアベルト(赤と青のリボン)と海底付近における水温分布 Gordon(2001)を加筆・修正

水は冷たい程重く、また塩分などの濃度が高い程重くなります。上にある水が冷やされたりして下の水より重くなると、上方の水が下方の水に潜り込むことになります。世界の海洋を巡る最も大きな循環は、ある場所で冷たく重くなった水がドーンと深層まで沈み込んでそれが徐々に湧き上がってくる、という循環です。この循環は全世界の深底層まで及びますが、平均すると約2000年かけて一巡りするようなゆっくりとした循環です。海水は冷たい程重くなるので、水が沈み込む場所というのは高緯度域・極域の海になりますが、どこででも沈み込むのではなく、北大西洋のグリーンランド沖と南極海(の南極大陸の近く)の2ヵ所でのみ沈み込みます。このようにしてできる海洋の大循環を模式的に示したのが図1で、「海洋のコンベアベルト」という呼ばれ方をしています。

それでは、なぜ同じ高緯度域でも北大西洋では沈み込みが起こるのに北太平洋では沈み込みが起こらないのでしょうか? 沈み込みがどこで起こるかは実は塩分の微妙なさじ加減(差)で決まっているのです。海洋の塩分は世界中どこでもあまり違いはなく、おおよそ3.3〜3.5%の範囲内にあるのですが、北大西洋の方が北太平洋より塩分が0.2%程高い、つまりその分重いのです。優秀な料理鑑定人でさえ見分けがつけられない、このわずか0.2%の差が水の沈み込む場所を決め、世界の海の循環パターンを決めているのです。

それでは、なぜ北大西洋の方が塩分が高いのでしょうか? これは、大気の循環が大きく関わっています。一般に海水は暖かい程蒸発が盛んになるため、赤道域で蒸発が盛んに生じ、蒸発した水蒸気は高緯度域で降水として海に戻っていきます。一方、大気は赤道付近は貿易風(東風)が中緯度では偏西風(西風)が卓越しています。大西洋の赤道域で蒸発した水は貿易風によって(高い山のない)パナマ地峡を抜けて太平洋へ運ばれますが、北太平洋から偏西風によって運ばれた水蒸気は北米大陸のロッキー山脈で大方雨として降ってしまいます。結局、大気によっては淡水が大西洋から太平洋によって運ばれることになり、太平洋は海水が薄められて低塩分に、大西洋は濃縮されて高塩分になるわけです。

さて、重い水ができて海水が沈むのは北大西洋の他にもう1ヶ所、南極海があります。北大西洋の場合、南から高塩の水がガルフストリームという海流で運ばれて、それが冷やされるだけで深層まで沈み込む重い水(北大西洋深層水といいます)ができますが、南極海の場合は海水が冷やされるだけでは深層に沈み込むまでの重い水ができません。南極海の表層は北大西洋程、塩分が高くないからです。

では、どうやって重い水ができるのでしょうか? 南極海は、短い夏を除き、流氷(学術的には”海氷”という言い方が一般的なので、以後“海氷”を使います)で覆われています。実は、この海氷ができる時に重い水が作られるのです。海水が凍る時、できるだけ真水成分で凍ろうとする性質があるので、濃縮された高塩分水(ブラインといいます)が下の海へはき出されることになります。そのため、大量に海氷が作られる場所では塩分の高い重い水ができるのです。このようにして南極海でできる重い水を南極底層水といいます。

つまり、氷(海氷)ができることで重い水ができ、それが沈み込むことで海洋大循環がつくられるわけで、このコラムシリーズのメーンタイトルの意味する所でもあります。このように、深層まで及ぶ海洋の大循環(海洋深層循環)は、海水の重さ(密度)の違いによって駆動され、海水の重さは温度(熱)と塩分で決まることから、熱塩循環という呼ばれ方をされています。

次回は、南極底層水がどうやってできるのかをもう少し詳しくお話する予定です。

以下が本コラムシリーズ「氷がつくる海洋大循環」の今後の予定です。

  1. 塩のさじ加減で決まる海洋大循環 (本号)
  2. 世界で一番重い水、南極底層水
  3. 日本南極観測隊の話
  4. 世界に冷たさを運ぶ南極底層水を計る
  5. 宇宙から南極底層水生成域を探る
  6. 未知の南極底層水生成域を探る
  7. 南極の氷は石けん、北極の氷はシャボン玉 −温暖化に脆弱な北極海−
  8. オホーツク海は北太平洋の心臓 −温暖化で弱まる心臓の働き−
  9. 温暖化でどうなる 氷河・氷床の行方 −氷床海洋相互作用の謎−
  10. 沈んだ水はどう湧き上る −混合の役割−

2010年11月