2005年度松野記念修士論文賞 |
受賞者「川口 悠介」
- 受賞論文「海氷ラグランジアンモデルを用いた低気圧下の海氷海洋の応答」
- 選考理由
海氷は、北極海など海盆スケールの現象に対してモデル化する場合、連続体として扱
われることが多い。しかし、氷盤や氷群の振る舞いという観点から力学を記述するに
はラグランジェ的な見方をするほうがより直感的であり、衛星等による海氷データと
の比較も容易である。川口君は、そのような動機から海氷ラグランジアンモデルの開
発に取り組み、また、それを海洋モデルに結合させることに成功した。これは、海氷
の運動と海洋の地衡流との間にアプリオリな角度差を仮定せずにより力学に即した実
験を行うことも可能とするものである。彼はこのようにして開発したモデルを用い
て、氷野上を低気圧が通る時の海洋や海氷の応答に関する実験を行ってきた。顕著な
成果の一つとして、低気圧下の海氷の分布形成過程において、海氷の過渡的応答と圧
縮応力の重要性を指摘したことが挙げられる。海氷は、海洋エクマン層内の流れによ
り、低気圧下において発散する傾向にある。しかし、初期密接度が高いときには、低
気圧が通りぬけた後により密接度が高くなってしまうことがある。これは、低気圧に
吹き込む風に対して海氷が1時間程度のうちに応答するため海氷漂流の収束が密接度
を高めること、その後発散しようとしても圧縮応力により抑えられてしまうこと、と
いう効果が重要であることが分かった。また、海洋と結合したモデルで、海洋エクマ
ン層に対する密度成層の効果とその海氷運動へのフィードバック、内部重力波の形成
と減衰に対する海氷の影響など、多くの知見が得られている。
氷野上を通る低気圧は北極海や南極海でしばしば観測されるにもかかわらず、これ
までその力学的な研究はほとんど行われてこなかった。彼の研究成果はこの分野にお
いて新たな知見を加えるものである。また、海氷ラグランジアンモデルを自ら開発し
たことも高く評価される。したがって、本修士論文は松野修士論文賞に値するもので
あると判断された。
受賞者「宮岡 憲裕」
- 受賞論文「札幌と石狩浜における大気中CO2,CH4,CO変動に関する観測研究」
- 選考理由
現在の大気中の二酸化炭素(CO2)増加に関わる炭素循環の解明は、社会的にも経済的
にも要請されている。この課題に対し、各地域における排出源や吸収源の強さと変動
を明らかにする目的で、現在世界で100地点を超える観測所でCO2濃度の観測が行われ
ている。これらの多くは、何れも人間活動の場からは遠く離れたいわゆる「ベースラ
イン」観測所である。一方、今日のCO2による地球温暖化問題を引き起こしている人
間活動の場である「大都市域」での観測は、数えるほどしかない。排出源としての都
市域を、炭素循環の観点からどのように観測・研究すれば良いのかを考えることが、
宮岡君の出発点であった。
本研究において、宮岡君は先ず連続測定が可能な大気CO2測定システムの作成、世界
標準と比較可能なCO2モル分率スケールの導入を行い、地球環境A棟9階で観測を行っ
た。更には排出源の化学的な特徴を検討するために石狩浜と地球環境A棟で43回にわ
たるフラスコサンプリングを行った。修士論文では、冬期と夏期のCO2日変動パター
ンを気象学的、化学的要素と比較・検討し、冬期の人間活動による影響、夏期の植生
による光合成の影響などを明快に示した。季節変化については「よく混合した大気の
CO2濃度」という概念を導入し、地球環境A棟9階における観測値が、条件によっては
大気境界層内の札幌の代表値に近いことを議論した。都市域を含む炭素循環モデルに
とって有用な情報となることが期待される。また、夏期の昼間(10〜16時)のCO2
データは、石狩浜とほとんど濃度差がなく、札幌においては人間活動と植生による光
合成がほぼ釣り合っていることも示し、将来の対策の方向性も示唆した。CO2濃度が
高く、ヒートアイランド現象により温度の高い都市域は、「地球温暖化」が実現した
場と考えることもできる。本論文は、そのような場での研究進展の可能性を示した。
また論文で展開している論旨も分かりやすく、丁寧に考察を行っていることから松野
記念修士論文賞を受賞するに値すると判断された。
授賞者「山下 和也」
- 受賞論文「ドップラーライダーを用いた大気境界層の組織的構造の研究〜特に縞状構造に注目して〜」
- 選考理由
大気境界層内の流れ、物質・水・エネルギーの輸送・拡散過程の解明は、気象学・気候学・流体力学のみならず、環境科学、災害科学、都市工学、さらには生態学の観点からも重要である。従来から行われてきたタワー観測や航空機観測などの点や線観測だけでは限界があるため、地上から上空数kmの範囲にわたる、時空間的に大きく変動する大気境界層の三次元構造の全体像は、これまでほとんど知られていない。そこで、山下君は、三次元走査型のコヒーレントドップラーライダーを用いて、地表付近(高度150m以下)に存在する、目にはみえない大気の流れの観測を行った。
彼は、長期にわたる観測から、網目状、縞状、及び両者の混合構造の存在を見出し、網目状構造は、晴天時の日の出数時間後から昼過ぎにかけて、かつ地上風速が4m/s以下の場合という限られた条件でのみ発現すること、縞状構造は、晴天か曇天かに関わらず、風速が5m/s以上の時に見られ、大気境界層の流れを特徴付ける典型的なパターンであることを見出した。さらに、網目状パターンの場合、網目の部分が収束域となっていることから、オープンセルタイプであることを示した。縞状パターンについては、アスペクト比が風速とともに減少すること、走向とシアーベクトルとがほぼ一致すること、幅50m程度の狭い範囲に強い上昇域が集中し、縞と縞との中間は弱い発散域になっていること、さらには、縞状構造の時空間的不連続性も明らかにした。観測された地表付近の縞状構造は、従来観測されている水平ロール渦より一桁程空間スケールが小さく、本研究によりその時空間構造が初めて明らかとなった。さらに、本論文には、「局地前線の構造」、「高層建築物の後方のウェーク流」、「霧の形成過程」、「花火や煙突の煙の拡散過程」、「積雲や層雲の形成過程」、「積乱雲からの下降流」など、数多くの興味深い新味のある観測結果についても報告されており、大気境界層の今後の研究に大きく貢献する成果が高く評価され、松野記念修士論文賞を受賞するに値すると判断された。
北海道大学 大学院地球環境科学研究科 大気海洋圏環境科学専攻