海洋における人為起源物質の濃度分布のモデルによる再現

山中康裕 ・ 阿部彩子

月刊海洋, 28, 510-515 (1996)


要旨 / 1.はじめに / 2.用いたモデル / 3.得られた結果と議論 / 4.おわりに

要旨

海洋生物化学大循環モデルを用いて、 人為起源二酸化炭素・核実験起源放射性炭素・フロンなどの人為起源物質の 海洋中の分布を求めた。 フロンの濃度分布は、 その溶解度の強い温度依存性から海面水温によってほぼ決まり、 人為起源二酸化炭素と核実験起源放射性炭素の濃度分布は、 主として、海洋循環、特にエクマン循環によって決まっている。


 1. はじめに

人為起源二酸化炭素・核実験起源放射性炭素・フロンなどの人為起源物質が 海洋に吸収されどのように分布するかという問題は、 地球環境問題として当然ながら、 海洋物質循環の問題としても極めて興味深い。 すなわち、(1)個々の物質のガス交換時間や温度依存性などの特性の違いや (2)百年から数十年の時間スケールの遷移状態などがどのように海洋中の 濃度分布にどう反映されるか? また、 (3)フロンの観測分布との比較によってモデルの振舞いを確かめられることなどが 挙げられる。 中層は、 上層で卓越する北太平洋規模の風成循環・ 深層で卓越する全海洋規模の熱塩循環・ 北太平洋規模で存在すると考えられる熱塩循環が入り交じった複雑な 流れの場であり、 人為起源物質はちょうど中層付近に拡がりつつあるため、 これらの分布がどのように決まるかという問題は 海洋物理学的にとっても興味深いものである。


表1: 3つの人為起源ガスの特性の比較。 ガス交換時間は、海洋表層50mと大気が平衡となる時間スケール。 人為起源CO2・核実験起源14Cの直接観測は、 産業革命時点の濃度分布が測定されていないため、×とした。
  ガス交換時間 溶解度温度依存性 増加時間スケール 直接観測
人為起源CO2 〜8ヵ月 産業革命以後 ×
核実験起源14C 5〜6年 1960年代それ以後減少 ×
フロン11, フロン12 2カ月 1970年代以後

表1に示すように、ここで考える3つの人為起源物質の性質はそれぞれ異なっている。 人為起源CO2・核実験起源14Cの海洋表層--大気間のガス交換時間は、 人為起源CO2については分圧平衡に達する時間、 核実験起源14Cについては全炭酸中の全炭素同位体が平衡になる時間 によって決まっているため、 (比較的時間が掛かるガスである)フロン11/12と比べても長くなっている。 人為起源CO2・核実験起源14Cの溶解度は、 CO2分圧は温度に強く依存するものの、 産業革命時点からの増加量を議論する際には 高緯度・低緯度で数十%程度の違いしかない。 それに対し、フロン11/12は高緯度・低緯度で約4倍程度の違いがある。 また、各々の大気中の濃度について、 人為起源CO2は産業革命から徐々に増加したのに対し、 フロン11/12は1970年代以降急速に増加し、 核実験起源14Cは1960年代に増加しそれ以後減少する パルス的時間変動をしている(図1参照)。

ここでは、 海洋による人為起源物質の吸収を考えてゆく際の 第1歩として、 産業革命以後の大気中濃度の観測値を与えたとき、 これらの人為起源物質特性が どのように海洋中の濃度分布に反映されるのかを見てゆくことにする。


図1: モデルの境界条件として与えた大気中の 二酸化炭素濃度・Δ14C・クロロフロロメタン11 の時系列(Yamanaka and Ishida, 1996)。

 2. 用いたモデル

Yamanaka and Tajika(1996)・山中(1994a,b)によって開発された 海洋生物化学大循環モデルを元にして、以下の変更を行なった。

山中(1994a,b)の標準実験の3000年積分し平衡になった状態 (f(CO2)=278μatm, δ13C= -6.5‰, Δ14C=0‰) を産業革命前のものとして、 図1に示す 大気の二酸化炭素濃度およびその同位体の観測値を与え、 1750年から1992年まで時間積分を行なった。 また大気中のフロン(CFC-11,12)の観測された濃度(Smethie et al.,1988)を 与え、ガス交換係数は全海洋一定の値・Warner and Weiss (1985)の溶解度を用い、 1940年から時間積分を行なった。 これらの計算時間は8Gflopsのコンピュータで数分程度である。


図2: 太平洋表層における 人為起源の全炭酸(C.I.=5μmol/kg)・ 核実験起源のΔ14C(C.I.=10‰)・ フロン11(CFM-11)(C.I.=0.5pmol/kg)の濃度分布および水平流速。 図中の点線は、モデルで得られたエクマン流が収束する位置 (Yamanaka and Ishida, 1996)。 人為起源の全炭酸および核実験起源のΔ14Cは、 1990年時点の濃度から産業革命時点の濃度をひいたもの。

 3. 得られた結果と議論

太平洋表層における各人為起源物質の分布を図2に示す。 人為起源の全炭酸と核実験起源のΔ14Cの濃度分布パターンは 比較的似ており、フロン11のものとは大きく異なる。 フロン11の濃度は高緯度で高くなっている。 これは、 速いガス交換時間のために その場の海面水温・塩分から決まる平衡分圧に近いこと、 その平衡分圧の温度依存性が強いことによっている。 従って、フロン11の濃度分布は、海面水温の分布パターンと似ている (南大洋で同一緯度に比べ低い濃度を示す海域は、 鉛直対流が起こっているために平衡時間が大きくなっている)。 一方、全炭酸とΔ14Cの濃度は 亜熱帯域で最も濃度が高くなっている。 これは、後で述べるように赤道域で湧昇した産業革命以前の水を含む水が、 エクマン流で高緯度に運ばれるうちに、 徐々に人為起源CO2・核実験起源14Cを吸収し、 亜熱帯でエクマン収束する緯度で最も濃度が高くなるためである。 Δ14Cの赤道域からの低濃度領域が全炭酸に比べ拡がっているのは、 これらの大気中濃度の時間変動の効果もあるが、 主にΔ14Cのガス交換時間がCO2に比べ長いことによる。



図3: 上から全炭酸(C.I.=5μmol/kg)・ Δ14C(C.I.=20‰)・ フロン11(C.I.=0.5pmol/kg, 破線は0.1pmol/kg) 産業革命からの西太平洋GEOSECS断面(日付変更線付近)における 増加濃度分布(1990年現在) (Yamanaka and Ishida, 1996)。 人為起源の全炭酸および核実験起源のΔ14Cは、 1990年時点の濃度から産業革命時点の濃度をひいたもの。

西太平洋GEOSECS断面における各人為起源物質の濃度分布を図3に示す。 北太平洋では、約500〜1000mの深度まで貫入しており、 大気中濃度増加の開始時期に応じて、 全炭酸・Δ14C・フロン11の順に深いところまで貫入している。 40N付近で深くまで貫入しているのは、 西岸付近で形成された中層水に伴うものである (このモデルでは対流調節によって直接的に中層水が形成されている)。 また、南極中層水形成に伴った貫入が50S付近に見られる。 先ほど述べたように、 全炭酸・Δ14Cの濃度は、 低緯度の方が高緯度に比べて高くなっているのに対し、 フロン11ではその逆になっている。 Δ14Cの低緯度の鉛直分布を見てみると、 深さ500m付近で最も濃度勾配が強くなっており、 深さ200m付近で濃度が最も高くなっている。 これは、大気中のΔ14Cが1960年代に最も高くなり その後減少していることに対応している。 低緯度のフロン11の鉛直分布にも深さ200m付近に極大が見られるが、 これは高緯度からの水平移流によるものである (Δ14Cの極大と似て非なるものである)。

大気海洋間の二酸化炭素分圧差は、 赤道低緯度域と高緯度の対流調節が起こっている領域で 大きくなっている(図4上)。 赤道では、産業革命以前の水を含んだ水が湧昇しており、 高緯度では、より深くまで混ぜられているためである。 但し、(元々赤道域の海洋中の二酸化炭素分圧が高く) buffer factorが大きいため 南北10度の領域より赤道域で分圧差が小さくなっている。 モデルのガス交換係数は 全球で一定の値 K = 0.06 mol/(m2 yr μatm) を用いているので、 この分圧差にガス交換係数と掛ければフラックスの量となる。 観測では、フラックス量が求めるためにどのようなガス交換係数を掛けるのかが 議論となるが、 モデルでは、 海洋内部の状態に見合うようにフラックスすなわち分圧差が決まるため、 フラックスのガス交換係数依存性は小さい。 我々の結果では、 1980年代に全海洋で合計約2.0Gt/年で吸収しているが、 過去の研究(Maier-Reimer and Hasselmann,1987; Sarmiento et al., 1992)で 見られた南半球での過大吸収が減少し、 北太平洋の過小吸収が増加し、観測で推定されているものに近付いた。 鉛直積分した全炭酸の増加は、 北大西洋やウエッデル海で特に大きく、 亜熱帯のエクマン沈降領域でも大きくなっている(図4下)。 これは、 赤道・低緯度で海洋表層に吸収されたものが エクマン循環によって亜熱帯に運ばれ、 亜表層に蓄えられているためである。 また、 高緯度の対流調節が起こっている領域では、 二酸化炭素分圧は低く、鉛直積分した全炭酸は周辺海域よりも大きくなっている。

人為起源二酸化炭素の大気からの吸収域と貯蓄域が異なることは、 その間に有意な水平輸送が存在することを意味し、 例えばある緯度以北の北太平洋における海面における吸収量と 海洋中の貯蓄量が異なることを意味する。 一方、 大気--海洋表層間の二酸化炭素交換が 深層--表層間に比べて大きいことを反映し、 北大西洋やウエッデル海のごく特定の狭い海域を除くと、 吸収が大きい領域(例えば赤道域)と少ない領域(例えば亜熱帯循環域)との 分圧差は高々3倍程度であり、 (大きな面積を持つ)極端な吸収域は存在しないと見ることもできる。 その見方からは、 注目する海域の吸収量の第0近似的な見積もりは、 その海域の面積に比例し、 広い面積を持つ北太平洋における吸収量は、 積極的に吸収している北大西洋と同程度であることが分かる。


図4: 人為起源の大気海洋間の二酸化炭素分圧差Δf(CO2) の水平分布および東西平均値(上図, Yamanaka and Ishida, 1996)。 1990年時点の大気海洋間の二酸化炭素分圧から 産業革命前ものをひいた値(C.I.=2μatm)。 (b) 鉛直積分した人為起源の全炭酸の水平分布(下図, Yamanaka and Ishida, 1996)。 1990年の鉛直積分した全炭酸から産業革命前のものをひいた値 (C.I.=5mol/m2)。

 4. おわりに

ここでは、 人為起源二酸化炭素・核実験起源放射性炭素・フロンなどの人為起源物質の 海洋生物化学大循環モデルを用いて、 海洋中の分布を求め、 各々の物質の特性によって生じる濃度分布の議論を行なった。

各々の濃度分布はある程度似ていることは、 ある人為起源物質の分布から他の人為起源物質の分布を 大まかには推測できるということを意味する一方、 各々の物質の特性の違いから生じる濃度分布の違いは、 ある人為起源物質の分布から他の人為起源物質の分布を 詳細に推定することが難しいことを示している。 従って素直に考え、例えば、 モデルで得られたフロンの濃度分布を観測と比較し、 そのモデルの振舞いを検討しモデルの改良を行ない、 モデルから得られた 人為起源二酸化炭素・核実験起源放射性炭素の濃度分布から 海洋における吸収量を推定する方法が将来的には最も信頼が高い結果を 与えるものと思われる。 これは、モデルを扱う人々のみの仕事ではないことに注意されたい。 モデルの改良は、海洋物質循環として``個々の過程の理解''が不可欠であり、 モデルを扱う人々と観測行なう人々との協力によってこそ 個々の過程を理解がより進むのである。 個々のより良い過程をモデルに組み込むことによって、 そのより良い統合的な結果が得られるのである。 海洋による人為起源物質の吸収に対する北太平洋中層水の役割を 理解したいのであれば、 日本近海の混合水域において、 どのように水が混ざってゆくのかを 温度・塩分(あるいは溶存酸素)などから 得られているイメージを越えた振舞いを トレーサ+力学という道具から海洋物質循環として描けるかどうか? という過程の理解が重要である。 あるいは、 季節ごと・月ごとに生物基礎生産・沈降粒子フラックス・混合層の変動などに伴って どのような物質輸送が行なわれているか? 外洋の亜熱帯・亜寒帯として代表的な一点観測でもよいが、 時間的に密な定期観測を行なうことよって、 個々の過程および互いの過程の関係を明らかにし、 理解することこそが重要である。 個々の過程がしっかりをしてこそ、 それを組み込んだ信頼の高いモデルが構築される。

なお、 講演「気候変動・海洋物質循環・堆積環境のモデリング」 の内容のうち PMIP(Paleoclimate Modeling Inter-comparison Project) として行なった 大気海洋結合大循環モデルによる氷期における大気循環の再現については、 紙面の都合上省略させていただいた。 なおここで述べたことは、 関西総合環境センターの石田明生との共同研究の一部である。


 参考文献


トップページへ / 本ページ内容の無断転載はお控えください。 までご相談ください。
北海道大学 山中康裕