南極地域観測隊の4ヶ月

杉本 風子 (博士課程2年)

2011年11月30日から2012年3月17日まで第53次南極地域観測隊に参加しました。

11月11日、晴海ふ頭でオーストラリアのフリーマントルに向けて出港する南極観測船「しらせ」を見送りました。私たち観測隊員は26日に飛行機でフリーマントルまで向かい、そこからしらせに乗艦します。そして11月30日に南極・昭和基地に向けてフリーマントルを出港しました。今年は定着氷域に入る前の季節海氷域から難航しました。しらせには1.5m程度の氷を砕氷する能力がありますが、それ以上の厚さの氷の場合には一度後進した後全速前進して氷に乗り上げ船の重みで氷を割りながら航行します(:ラミング航行)。このラミング航行を季節海氷域から繰り返しながら昭和基地に近づいていきました。とうとう1月21日には接岸を断念し、約2週間の物資輸送を行いました。その間、私は昭和基地に滞在し輸送が終わる頃にしらせに戻りました。復路も往路と同様に難航し、海氷域からなかなか離脱できなかったため時間がなく実施できなくなった観測項目もありましたが、最後は予定通り3月17日にフリーマントルに入港し、その後観測隊は空路で帰国しました。しらせは私たちが退艦した後、4月9日に晴海ふ頭に帰国しました。

第53次南極地域観測隊夏隊のスケジュール。 観測隊員は担当する仕事や調査の内容によって、各自のスケジュールが異なります。私は大半をしらせで過ごすことになりましたが、2ヶ月近く昭和基地に滞在した人もいますし、1ヶ月以上昭和基地以外の野外で生活した人もいました。

しらせでの生活。。

観測隊員のしらせの船室は基本的に2人部屋です。部屋には2段ベッドと水道とソファ、それぞれに机、ロッカーがありとても過ごしやすい環境でした。食事は自衛隊の方々が作ってくれます。毎食、5~7種類ほどのおかずが用意されます。艦内にいると曜日感覚がなくなるため、毎週金曜日はカレーと決まっています。今年は例年に比べてもおいしいと評判でした。

51次隊からの新しいしらせは前のしらせに比べ揺れない構造で造られており、実際それほど大きく揺れることはありませんでした。しかし、船に弱い人はそれでも酔ってしまうようでベッドから動けない人も数人見かけました。暴風圏を通過した時には最大傾斜29度という記録を出しました。これは新しいしらせになってから新記録だそうです。この時は部屋中の固定していない全てのものがすごい音を立てて部屋の隅から隅を行き来し、芳香剤は飛び散り、船酔いよりも後片付けが大変でした。しかも夜中だったので自分がベッドから放り出されそうな勢いでした。

また、しらせではかなり気合を入れて季節の行事を行います。クリスマスやお餅つき、しめ縄作り、新年の行事、おせち料理、バレンタインなど、日本で過ごすよりも日本人らしいお正月を過ごせました。今回のように長期にわたる閉鎖された空間での生活は単調な生活になりがちであり、運動不足や対人関係によってストレスが溜まります。このようなイベントは気分転換にもなるので大切な行事です。

    
しらせの船室。      大晦日には除夜の鐘を撞きました。

観測関係。。

出港して南下しながら海氷域に入るまで海洋観測を行います。往路で7点、復路は12点で停船しながら観測を行いました。CTD(Conductivity Temperature Depth profiling system:電気伝導度水温水深計)で電気伝導度、温度、水深を測定し、同時に6本の採水器で各層の採水を行います。ノルパックネットとCPR(Continuous Plankton Recorder:連続プランクトン採集器)ではプランクトンの採集を行います。

海氷が現れ始めると、いくつか並行して海氷観測を行いました。そのひとつが海氷目視観測です。海氷の状態を目で観察し、氷盤の大きさや密接度(海の何割を海氷が覆っているのかを表す)、厚さや表面の凸凹の情報などを24時間体制で記録する観測です。他には電磁誘導法センサを使用しての海氷厚さ観測も行いました。このセンサの原理は、センサの送信コイルから一次磁場が発せられ、海氷の底面に形成される誘導磁場を受信コイルで検知することで海氷底面までの距離を計測します。同時に、レーザ距離計でセンサから海氷表面までの距離を計測します。そしてその差を求めることで、積雪も含めた全氷厚(:氷+雪の厚さ)が求まるという仕組みです。この他にも、氷の変化を記録するために航行中2方向のビデオ記録なども行いました。このような海氷観測は過去の隊から行われています。私はこれまで取得されている過去のデータと今回のデータを使って博士課程の研究を行う予定です。

復路では54次隊で回収する3系の係留系を設置する予定でした。しかし復路も往路と同様に海氷域内で難航し海氷域からなかなか離脱できず、離脱後に観測のために取れる時間が予定よりも少なくなりました。その上、天候にも恵まれなかったために実施を諦めるしかありませんでした。係留系観測とは、超音波氷厚計、水温・塩分系、音響ドップラー流向流速計(ADCP: Acoustic Doppler Current Profiler、音波のドップラー効果を利用して各層測流を行う装置)などの海洋観測機器を配置したロープを、海底に設置した錘から立ち上げ一番上には浮きをつけて張り、同じ点で長期間連続してデータを取得する観測方法です。また、51次隊に沈めた海底圧力計(:海底での圧力変化を観測する装置)も53次隊で無事に揚収することができました。

私はこのような観測に関わりましたが、他にも様々な分野で幅広い観測が行われています。どのチームも測器の不具合や様々なトラブルと戦っていましたが、私たちももれなく測器の不具合で苦しみました。

   
海氷と雪の厚さを調べるための穴掘り。 (写真提供:清水大輔氏)     海洋観測中。 (写真提供:福田武博氏)

接岸断念。。

しらせはラミングを繰り返し本当に少しずつではありますが、昭和基地に近づいてはいました。しかしとうとう1月21日に接岸断念という判断がくだされました。これは35次隊以降観測隊史上2回目の出来事です。昭和基地までは直線距離で約21km、雪上車が通る氷上ルートでは約30km離れた地点でした。接岸できないと昭和基地までかなりの距離があるため、物資の輸送が大変になります。ヘリコプターによる空輸と雪上車による氷上輸送だけで食糧から建築資材、観測機材や油など53次越冬隊が1年間生活するための物資を運ばなければなりません。昼間は空輸、夜間は氷上輸送で睡眠時間はわずか3時間という状況の下、自衛隊員と観測隊員が協力し越冬できるだけの物資を運ぶことができました。本当によかったです。

 
空輸(昭和基地Aヘリポート)。
(写真提供:鈴木毅輔氏)
  停泊中のしらせ。
    氷上輸送。
   

野外調査にも参加。。

日本南極地域観測隊では南極のいろいろな場所で野外調査が行われています。53次隊では袋浦でペンギンの調査、きざはし浜で湖沼の生態系の調査、ラング・ホフデ氷河で氷河の調査が行われました。その中でも私が観測のサポートのために訪れることができた場所が、低温科学研究所の杉山先生や環境科学院の澤柿先生、同じ大学院生の福田さんの氷河チームが滞在し観測を行っていたラング・ホフデ氷河です。

当初はしらせが接岸してから氷河に行き氷河チームの観測のお手伝いをする予定でしたが、私はしらせ上からの観測を担当していたのでしらせが停まるまで艦を長期で離れることができませんでした。しらせの接岸が大幅に遅れることが見込まれたため、しらせの進行具合を見ながら氷河に行き氷河チームに合流することになりました。その結果、当初の予定よりも短い滞在となってしまいましたが氷河チームのみなさまは快く受け入れてくれました。氷河-棚氷-海洋相互作用による氷床変動の解明のために、熱水掘削装置を使って氷河に穴をあけ、その穴に水圧センサやCTD(Conductivity Temperature Depth profiling system:電気伝導度水温水深計)などの測器やカメラを入れて観測を行います。他にもGPSを使った氷河の流動速度の観測やアイスレーダを使って氷厚測定が行われました。氷河の下の映像やいろいろな有意義なデータが取得できたそうなので、これからの解析が楽しみです。テント生活でしたが天候にも恵まれ、特に不便も感じることなく快適に過ごせました。また、フリーマントルを出港してから約2ヶ月ぶりに土の上を歩いたので、ものすごい開放感を感じました(このあとすぐまたしばらくはしらせの閉鎖された生活に戻ったのですが)。

    移動手段は基本的にヘリコプターです。
氷河上での熱水掘削の様子(1) (写真提供:福田武博氏)
    氷河上での熱水掘削の様子(2) (写真提供:福田武博氏)

昭和基地では。。

しらせで担当している仕事がある数人を残して観測隊員の大半が、12月末にはすでにヘリコプターで昭和基地に行ってしまっていました。しらせが停泊した後、ようやく私もみんなより遅れて昭和基地に行くことができました(結局53次隊で最後に昭和基地入りした人になりました)。よく言われるように昭和基地は工事現場のような雰囲気があります。私が行けた頃にはもうあまり雪もなく砂っぽい、けれど空はきれいな青、時々思い出したように猛吹雪になり外出注意令や禁止令が出されるとここは北海道じゃないんだと感じさせられました。夏期のたった2週間程度の滞在では昭和基地で起こる出来事のほんの一部しか見られず、これから1年間もここで生活できる越冬隊のみんなをうらやましく思ったりもしました。

約2週間の滞在中には、昭和基地の近くの北の浦で海氷観測を行いました。他には、生コンクリートを作る作業や大型大気レーダーPANSY(Program of the Antarctic Syowa MST/IS radar)のアンテナ移設作業などといった夏作業のお手伝いをしていました。私は多くの方にしらせの中での一部の観測を手伝っていただいていたので、昭和基地では私がみんなの作業を手伝うことができて嬉しかったです。また、作業を通じて色々な他のグループの人たちと関わることで自分の興味や関心の幅が広がりました。今年は接岸できず全ての物資が届かなかったことや届く時期が遅れたことで、計画されていた全ての夏作業が完了できたわけではありませんでした。いくつかは54次隊に持ち越されるようです。

例年より遅れて今年は2月12日に越冬交代式が行われ、52次隊越冬隊から53次隊越冬隊に引き継がれました。昭和基地に滞在していた52次越冬隊と53次夏隊は2月21日までの期間に徐々にしらせに引き上げます。往路と昭和基地での夏作業期間の約3ヶ月ずっと一緒に生活していた53次越冬隊のみんなとのお別れは予想以上に寂しかったです。今はただ53次越冬隊が無事に任務を終え、元気に帰国してくれることを願っています。

   
大型大気レーダーPANSYのアンテナエリア。     毎朝全員でラジオ体操と作業内容の確認を行います。 (写真提供:鈴木毅氏)
    生コンクリート製造作業。 (写真提供:鈴木毅氏)

最後に。。

4ヶ月という長期の航海は初めてでしたが、あっという間に終わってしまいました。想像以上の色々な経験ができ、たくさんの人と出会うことができました。このような貴重な機会を与えてくださいました大島先生、出発までの準備を手伝ってくださった研究室のみなさま、そして一緒に観測隊員として参加してたくさんのことを教えてくださった同じ研究室の清水さん、心から感謝しています。本当にありがとうございました。

2012年7月